コロナの時代の僕らと誰もひとつの島ではない

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こんにちは。
いちや です。

新型コロナウイルスの新規陽性者数が
急激に増える感染のヤマ。
現時点では「第7波」らしいですね。
一向に波が収まる気配がない状況で、
だんだんその情報に麻痺していく自分がいる・・・。

何時になったらマスクをつけなくても
街中を歩けるようになるのでしょうか。

コロナの時代の僕ら

ひょんなことから「コロナの時代の僕ら
というエッセイに出会いました。

著者ジョルダーノはトリノ大学で物理学を学び、
専攻は素粒子物理学。
興味深いのは小説「素数たちの孤独」でデビューして、
イタリア最高峰の文学賞(ストレーガ賞)を
受賞していること。
素粒子物理学関連の論文ではなく、
文学作品でです。

しかも、特殊な素数の組み合わせである
「双子素数」をモチーフにして、
限りなく近いのに、一つになれない男女の切ない心情
を描いたもの。というのだから、
奇想天外な視点と斬新な想像力には驚くばかりです。

そんな著者が、新型コロナウイルについて、
思ったこと、感じたこと、考えたことを思うがままに
書いた書籍なのです。
どう書いたのかは興味あるところ。

しかも、邦訳が 2020年4月25日初版。
原書は更にもっと前なのです。

つまり、何が言いたいのかというと、
著者はイタリアで感染が拡がり始めた
ごく初期の段階から、ただ者ではない。
と感じてエッセイを書き留めていたこと。

いずれは収束するだろうけど、
“喉元過ぎれば熱さを忘れる”で、
決して忘れてはいけないことが、
著者の視点からいろいろと、
書かれているところも興味深い。

何時また別な正体不明なウイルスと
遭遇するとも分からないのだから。

「新型コロナウイルスの時代」を
私たちがこれからどう生きていきたいのかを、
先ずは自分ひとりで、
できればみんなで考えましょう。
というメッセージなのです。

誰もひとつの島ではない

その中でも個人的に印象に残ったのは、
著書の「誰もひとつの島ではない」の章です。

「誰もひとつの島ではない」という一文は、
17世紀のイギリスの詩人、
ジョン・ダンの瞑想録に由来するという。

「誰一人として、独りぼっちな存在ではない」
ということなのですが、実は本質はもっと深くて、
「地球上のある一点で起きていることは、
全世界で起ることもあり得るのだ。」
ということを示唆しているのでは?と、
私は感じました。
人と人との接点は昔と違って、
今は様々な交通手段やコミュニケーションツール
があるから。

何を守り何を捨て僕らはどう生きていくべきなのか

熊が民家に餌を求めてやって来る。
山の奥地では餌にありつけなくなって、
危険を冒してまでも人間のテリトリーへ
入ってくるのです。

感染症を引き起すウイルスも同様で、
一部の動物同士が感染を繰返して、
あるとき、人に感染する。
山奥でひっそりと暮らしていたなら、
人との接点はないのだから。
そもそも人に感染することもない。
(ここでは、陰謀論は考えないことにします。)

山奥でも餌にありつけて、
従来どおり、住みやすい環境ならば、
やたらむやみに人と出会う必要がない。

つまり、森林破壊・環境破壊や、
地球温暖化に行き着くのです。
快適さを追求し続けている私たちの生活スタイルに
果たして問題はないのだろうか・・。

人は欲深いので、快適さを追求し続けるあまり、
一線を越えた、とんでもないことをしでかす
存在なのかも知れません。

実はヒューマンデザインも上位講座を受講していくと、
様々な思想に触れていくし、
その生き方、考え方を膨らませていく必要があるけど、
今回のエッセイも同じように、
様々なことを考えさせられました。