narrow pathway near tress

「運は自分で自ら切り開くもの」故山田孝男さん

この記事は約 5 分で読めます

こんにちは。
いちや です。

今日は、故山田孝男さんが生前、
「運は自分で自ら切り開くもの」と語り、
占星学から瞑想家へと軸足を変えられた
というエピソードのお話しです。

季節外れの大掃除をしていたら、
いくつか気になるものが見つかりました(笑)

その一つが、故山田孝男さん主催の
『「気の里」癒しのツアー in 長谷村』の日程表です。

今から20年ほど前のこと。
その頃、私はレイキ(霊気)に興味があって、
当時のレイキの恩師から、
山田孝男さんは、
「日本で初めて本格的な瞑想指導をされた方」だと伺い、
大変興味を持ち、参加を決めたのです。
日程表を見ながら思い出しました。

そして、今年、早くも3月です(笑)

実は、最近とある占星学の講座で、
偶然にも瞑想家の故山田孝男さんについて、
話題になりました。

その講師の方は、
1970年代、故山田孝男さんから、
占星学を学んだといいます。

故山田孝男さん、
占星術家だったことを初めて知りました。
私は、故山田孝男さんは、
初めから瞑想家の方だと思っていた
からです。

故山田孝男さん主催『「気の里」癒しのツアー』は、
ミュージシャン山根麻以さんとのコラボで、
分杭峠(伊那市(旧長谷村) )で行われました。
瞑想家とのコラボということもあり、
ヒーリングミュージックを聴きながらの
貴重な体験。

今思えば、
本当の意味で晩年の故山田孝男さんと
お会いしていたことになる。

“オーラ”についての話になったとき、
私は、山田孝男さんに失礼を承知の上で、
「先生の今のオーラは何色なのでしょうか?」
と訊ねました。

直ぐに、静かに応えられました。
「今のオーラは白ですね。ところどころが薄い紫かな。」
という一言は、今でも記憶に残っています。

そこで、私は何故、
活動の軸足を占星術家から瞑想家へと
変えていったのか。
そのことにとても興味をもちました。

故山田孝男さんは、あるときから、
「運は自分で自ら切り開くもの」と思い立ち、
占星学の指導から手を引いたそうなのです。
1980年後半だと思われ、
日本が空前の好景気(不動産バブル)に
沸き始めたころです。

占星学を指導したり、鑑定していくなかで、
故山田孝男さんなりに思うところが
あったのだろうと察します。

個人的な感想として想像するに、
当時の日本で、占星学というものに対して、
世間から求められているものと、
故山田孝男さんが求めているものとの間には、
決して埋めることの出来ない大きなギャップを
感じていたのかも知れません。

それは多分、数多くの
「こうなりたい、こうなってほしい、
こうならないのでしょうか・・・」という、
現世利益にフォーカルされた質問に対して
答えざるを得ないことを憂いたから?

真実は分からないのですが、
なんとなく、自分の中で納得してしまいました。

1980年後半から、35年ほど月日が流れた今、
日本での価値観や考え方、
様々な占術に対する受取り方や考え方も
変化してきたのではないでしょうか。

ヒューマンデザイン、占星学、手相学、様々な占術。
どれも、もちろん“占い”的な要素があって、
外せないのですが、
それと、同じくらい、鑑定結果から、
気づきと、どう活かして、自分らしく、
人生に抵抗なく過ごすことが出来るのかに、
役立てていく必要があるのではないか
と感じたのです。