浜辺の足跡はだれもが見守られている存在

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こんにちは。
いちや です。

『浜辺の足跡』という詩。
パソコンの中で探し物をしていたら、
3~4年ぶりに見つけ出しました。

事ある度に、思い出したように、
開いては読んでしまう。
何度、読んでも心に染み入る詩です。

浜辺の足跡

翻訳された、詩は、500文字前後とコンパクトです。

ある夜、私は夢を見ました。

夢の中で、神さまといっしょに浜辺を歩いていたのです。
空には、私の人生のさまざまな場面が走馬燈のように映しだされました。

そのそれぞれの場面で、私はふたり分の足跡が砂浜に残っているのに気づきました。ひとつは私のもの、そしてもうひとつは神さまのものです。

私の人生の最後の場面が映しだされたとき、私はそれまでの人生の足跡を振り返ってみました。

驚いたことに、何度も私の人生の中で足跡が1人分しかなかったときがあったのです。それは、どれも人生でもっとも辛く悲しい時期ばかりなのです。

私は、神さまにたずねてみました。

私があなたについていくと決めたなら、あなたは、ずっといっしょに歩いてくださるとおっしゃってくれました。けれども、私がもっとも辛く悲しいとき、なぜか砂浜には1人分の足跡しかありませんでした。

どうして、私が最もあなたを必要としているときに、私から去ってしまったのでしょうか?

神さまは、こう答えました。

私はお前がもっとも苦しい試練の最中にいるときにも、決してそばを離れることはなかったのだよ。1人分の足跡しかなかったとき、私はお前を抱きあげて歩いていたのだから。

「浜辺の足跡」を周期的に読んでいた

このタイミングで偶然にも「浜辺の足跡」を見つけて読んだのは、
何かの縁を感じます。

私が初めて、「浜辺の足跡」を知ったのは、10数年ほど前。
斎藤一人さんが書籍(音声?)で紹介されていたものを読み、
(聞いて)感動してしまったんです。

以後、私は時流の節目で見つけ出し、読み返しては触発されていた。
そんな感じです。

当時、私の周りでは、
「話の”落ち”があまりにも出来すぎている。」とか、
「何か宗教っぽいよね。」など、
それほど興味を示さない人もいました。

私はというと、純粋にシンプルで、
分かりやすい話の落ちが、逆に心に響いたのです。

後になって調べてみると、知る人ぞ知る、詩だったんです。
「日本昔ばなし」や「イソップ童話」のように。
もしかしたら、あなたはもう知っているのかもしれませんね。

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上記のサイトによりと、
1970年代に作者不詳として広まった詩で、
「私がこの作者だ」と、著作権を主張している人は10人以上いるそうです。

ちなみに私が後から調べて見つけたのは、
メアリー・スティーブンソンさんという方が、
14才の時に書いたという詩です。
私はこの方の詳細はわからないのですが、

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詳しくは https://www.footprints-inthe-sand.com/(英文)にあるようです。

「砂の足跡」の活かし方

「独りではない、生かされているんだ。」
ということを再認識させられるのです。
”神さま”が登場しますが、
大いなる存在であり、この宇宙であり、大自然です。

あくまでも、何かの宗教の経典とは無関係。創作された詩です。
それを読んでどう感じるかは人それぞれ。

前に進めず、ジッと動かないでいるよりは、
せっかく「私たちは見守られている存在」なのだからこそ、
神さまに甘えて、迷惑をかけない程度にチャレンジしないと。
ですよね。(笑)

私はそうとらえています。

まとめ:「砂の足跡」は、あえて「留まるな!動け!」といっている。甘えて胸を借りる勇気も必要だということ。