こんにちは。
いちや です。
あるTVのネット配信で、
加賀まりこさんのインタビューをチラ見していると、
とても興味深い内容に、つい見入ってしまいました。
あまりテレビを見ないこともあって、
本当に久しぶりに、今の加賀まりこさんを
拝見したという感じです。
私の中では、歯に衣着せないトークが印象的で、
的を射た発言に、相手はシュンとなるような。
そんなイメージがありました。
実は私が生まれたときには、
もう既に芸能界で大活躍をされていて、
次々に舞い込む仕事と、
週刊誌のイメージだけで書かれる記事に嫌気がさし、
芸能活動を休止。ひとりパリへ渡ったそうなのです。
そして、十分な休息と病んだ心をリフレッシュされて、
その後は、再び俳優として表舞台へ。
かの文豪、川端康成も若い頃の加賀まりさんの魅力に
取憑かれた一人だといいます。
突き抜けた「美貌と雰囲気を持った人」だったのですね。
様々な人生経験をされた加賀まりこさんが、
「幸せについて」という漠然とした問いかけに対して
どんなお話しをされるのだろうと。
インタビューの冒頭では、意外な一言から始まりました。
決して変わった日常、刺激的なことではない。
変わらない日常を過ごしていけることこそが、
幸せだと。
朝起きて、鳥が鳴いている。
空がきれい。あー、今日も始まる。
あーよかった。それが幸せ。
そして、私が一番、心に響いたのは、
「 人生は、”行って来い”だから。 」というフレーズです。
どっちかに偏りすぎるということではなくて、
人生って最後にはちょうど良くなるのではないかと。
帳尻が合う。だから、「行って来い」だということ。
いいことがあれば、そうでないこともある。
そうでないことばかりの人生だと思っていても全然違う。
いいことだって起きる。
人生の、”行って来い”があるから、楽しいのではないか。
幸せを感じるのも、いいことも悪いことのバランスがうまくいったときに、そう思う。いいことがずっと続くのが幸せじゃない。それだと、バカになっちゃう。
「自分だけが不幸だ、つらい」とかいう人見ていると、「もったいない生き方しているなこの人」と思ってしまう。
実は、最近、ヒューマンデザインの「ノード環境」で、
いろいろと自分なりに考察をしていたところだったのです。
「クロスオブライフからの眺め 32種類のノード環境」
というテキストをベースに講座があって、
私が持つ、ノード環境「 15/10 」とは、どうなのかと。
私は、どのような状況に「敏感」になるのか。
日々の生活の中で、何に「気になる」のだろうか。
15番ゲートは、極端・先端 地山謙 「謙遜」
10番ゲートは、自己の振る舞い 天沢履 「礼節」
これらに、敏感になり、気になってしまうらしい。
こっちににしようか、あっちにしようか。
この場合だったら、Aでもなく、Bでもなく、Cでしょ。
とか・・。
相反する、反対側もの同士から、
その時々に、最適なものを選ぼうとする。
バランスをとろうとしている、
つまり、「中庸」を目指そうとしている人たちの中に、
自分も関わる(受容し共感する)ことになる。
本来の自分じゃない自分を生きている人、
こっち?あっち?、A?B?の選択に迷い、
極端な振る舞いでジレンマが起きている。
そこで、私がどう問題意識を持って関わりを持つのか、
些細なことから、大きなものまで。
たわいのない日常で、目につくこととは・・・。
ちょうど、そんなタイミングで、
とても興味深い、TV番組と出逢えたわけなのです。
私が持つ、ノード環境「 15/10 」が反応したのです。
まさに、「人生は、行って来い」という、
大きな人生の流れの中で、
両極端な状況で帳尻が合うとはそういうことなんだと。
生きざまから垣間見られた気がしたのです。
私の(終わりの無い)ヒューマンデザインの実践は、
まだまだ続きます。